浪打八幡宮

神社由来
平成16年(2004年)に、御鎮座1400年の記念大祭と記念事業(本殿再建)竣工報告祭を浪打八幡宮にて行いました。 その際、当八幡宮の起源の拠り所としたのは、当八幡宮を守護神としていた村のひとつである吉津村(他には詫間村、比地村、比地中村村、仁保村など)に、代々住まわれている丸岡家に残された古文書(丸岡家文書)でした。 丸岡家はその昔、福井県丸岡城にルーツを持つ旧家であり、吉津村においては長きにわたり庄屋を務め、明治以降は村長も輩出している家柄です。

その関係から同家には多くの古文書が残されており、当八幡宮に関係するものも多々あり、その中には当八幡宮の別当を務めていた教順に対する検校(けんぎょう)任命書(850年)も含まれていました。 この任命書には、嵯峨天皇の皇后である檀林皇后(だんりんこうごう)とその弟である右大臣橘氏公の押印がなされており、史実的にも確かなものであると判断されています。

こうしたことから、丸岡文書には一定の信頼性があると判断し、当八幡宮の由緒起源が1400年前に遡る根拠として、丸岡家に残された古文書のひとつである由緒記文書を採用しました。 参考までに、その由緒記文書の内容を現代語訳して紹介しておきます。

ホームページより

香川県三豊市詫間町詫間137