勝(ちきり)神社

勝(ちきり)神社
所在地:高松市仏生山町百相上町
祭神:手置帆負命、彦狭知命

滕 神 社
滕神社の祭神稚日女命は、天照大神の妹で、大神の御衣織女(衣服を織る女)と伝えられている。 この神社は、むかしは今の香川町浅野の。唐土に祀られていたが、万寿年間(一〇二四~一〇二七)に今は平池となっているところに松原があり、そこに遷された。久安年間(一一四五~一一五〇)に社殿の周りにため池が築かれたので、大洪水があったときは社殿がたびたび水に浸かることがあった。そこで、今の浅野村字岡の上に遷され、その後、平池の北東である雄山に遷された。それからは、岡の上の社殿のあった地を古宮さんとよんでいる。 高松藩主松平頼重公のときに、この地に法然寺を造営し、松平家の墓所とされる通達があったので、神社は、寛文九年(一六六九)前山(秣山)に遷された。それから後は、松平家歴代藩主の信仰を受け、神社の領地として六石が寄進された。神社の格式、石清尾八幡宮(高松市宮脇町)、中野天満宮(高松市天神前)、道祖神社(高松市宮脇町)、稲荷神社(高松市中央町)と同格で、神主は毎年、正月四日に城内の書院において、藩主の拝閲が許されるほどであった。 また、神社内の境内東北の隅には、宗源壇という祈祷所が設けられて、国中に事があるときは、藩主も祈祷を行ない、お礼やお守りを配布されたこともあったといわれる。 滕神社は、現在の地に鎮座して以来三百数十年、仏生山、旧浅野村の実相寺、舟岡、岡の上、池の側とそれぞれの地域の氏神として、多くの人たちから敬われている。

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