沿革・概要

  かつてはそれぞれの地域で、古くからの習慣に基づく「若者組」や「若者中」などと称する若者の集まりが営まれ、これに入会することが一人前の地域社会の成員となるための重要な通過儀礼でした。

  彼らは夜ごと「若者宿」に集まっては、年齢の近い仲間内で様々な会話に花を咲かせると同時に、この若者組は大切な情操教育の場でもありました。

  彼らは同世代の先輩から村の習慣についての教えをうけるとともに、祭礼をはじめ、治安、消防、教育などに積極的に関る事によって、団結を深めながら郷土愛を培ってゆきました。

  やがて若者組は「青年団」と名を改め、その役割も引き継がれました。

  ところが戦後の急激な社会変革が、地域の青年団の性格にも大きな変化をもたらしました。

  多くの若者が故郷から都市部に流出し、さらに若者の間に個人主義が横行し始めたため、共同体や家の意識が薄れ、地域青年団存立の基盤が急激に崩壊に向かいました。

  そのような中で、逸早く青年神職が立ち上がり、愛国心や郷土愛の源である神社を護持するべく、昭和24年に神道青年全国協議会(神青協)を結成しました。

  昭和31年、神青協は「神社は将来いかに進むべきか」を主題に青年大会を開催し、この時、氏子青年の結集についても協議がなされました。

 その結果、神社ごとに氏子青年会を結成するよう広く呼び掛けてゆくこととなり、各地で活発に「氏子青年の集い」が開催されるようになりました。

  昭和34年、これを全国規模にまで拡大した「第1回全国氏子青年会の集い」が伊勢市で開催され、「新しい日本の担い手としての自覚にたって、神ながらの大道に従い、明るく豊な社会の建設を誓う」と宣言しました。

  全国集会は計4回開催されましたが、特に昭和36年の第3回の集いでは、昭和23年に廃止された「紀元節」の復活を広く国民に訴えるため、奈良県から東京都に至る「建国記念御神火大行進」の実施が決議されました。

  翌37年2月、青年神職たちは第一代天皇である神武天皇をお祀りする橿原神宮から御神火を賜り、さらに伊勢の神宮、熱田神宮の聖火を合わせながら東海道を東上し、最終目的地であった明治神宮の大前に捧げました。

  このように氏子青年活動が活発に進展するのを見て、神青協では氏子青年会の全国的な組織化を取り進めることになりました。

  やがて昭和38年10月26日、明治神宮において「全国氏子青年協議会結成大会」が挙行され、「全国氏子青年協議会」(氏青協)の結成が宣言されたのです。

  以来、氏青協は、生みの親である神青協とともに、神社本庁の指定団体の一つとして、氏子青年の特色を生かした活動を重ねて現在に至っています。

  平成14年8月現在の本会の組織状況は、全国に6つの地区連、32の県連、274の単位会、1万1千余名の会員を擁しており、『氏青活動は国づくりの要 ~情熱と誇りをもって、未来に向かいともに考え、ともに歩もう~』を合い言葉に、中期的活動方針である「五ヶ年計画」を柱とする様々な活動を推進しています。

  具体的には、加盟組織の拡大と充実、神社を舞台とした青少年の健全育成、家庭祭祀(神棚のまつり・年中行事等)の振興、加盟単位会振興対策の実施等々であります。

  また本会では、毎年1回、各地区持ち回りによる全国大会を開催しており、例年、色とりどりのまつり半纏に身を包んだ800名前後の会員が各地から参集して、神社に奉仕する氏子青年としての結束を強化しています。

  さらには青少年対策の一環として、平成9年より隔年で、伊勢の神宮と東京の靖國神社とで「全国鎮守の森こども相撲大会」を交互に開催し、御神前への奉納を行っています。

  この大会は、神事に起源する国技相撲を通して、私たちすべての大切な宝物である未来を担う子供たちに、国を愛する麗しい心と伝統を尊ぶ精神を伝えることを目的としており、土俵上での競技のみならず、威儀を正しての参拝や関係施設の見学、大相撲の親方や力士の指導による相撲教室などの諸行事を組み入れています。

  今後はこれらの事業に加え、鎮守の森を中心とした緑化活動等を展開していく予定であります。

 なお、このような本会の活動は、年1回発行の会報「うじせい」やホームページ、神社新報等を通じて報告していますが、詳細につきましては事務局までお問い合わせ願います。



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